自由に自分の好きなことだけをして生きる社会が実現したあとはどうなんの?
2月18日 14:09 · tag メモ書き
自由に自分の好きなことだけをして生きる社会が実現したあとはどうなんの?
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こんにちは。
週末に読書会を行いました。
苫米地英人コレクション読書会では、脱洗脳教育論を扱いました。
いろいろな話題が飛びましたが、今回僕の野望も話させていただきました。
ここ5年から10年かけて実現したいことでもあるので、少しだけ共有させていただきます。
とりあえず、こいつ変なこと言い始めたぞ!という感じで続きを読んでくれたら嬉しいです。
もう一度言いますね。
こいつ変なこと言い始めたぞ!という感じで続きを読んでくれたら嬉しいです。
というわけで話を進めます。
今僕の中にあるキーワードは、「教育」「村」「カレッジ」「共創」ですかね。
まだ、うまい言葉が浮かんできませんがとにかく日本全体の教養レベルを引き上げることをしたいと思っています。
これは、エリート層を作りたいとかそういうことではなくて、どの層にとっても生きやすい社会の実現ですね。
今は資本主義経済からそれを土台にした評価経済システムに移行していますよね。
でも、これで得するのは、情報を発信して、人とつながりをたくさん持って、信用を勝ち得た人たちで、それができた人たちが成り上がるシステムであると思っています。
もちろん、これはこれで僕はいい面もあると思っています。これまで自分らしく生きることができなかった人たちにとってチャンスなわけです。そういう人がたくさん集まるコミュニティがあれば、そこで需要と供給は生まれますから、好きなことをして生活することができるようになります。
それと、お金がすべて!という洗脳から多くの人を解放するには必要な過程なのかなとは思っています。
ただ、この流れになじめない人たちもいるわけです。
特に、まじめに学問を勉強をしてきた人たちや人づきあいがあまり…という人たちには。こういう人にとってはますます生きづらい世界になっていく気もします(あっ、一部のエリート層にあるパリピみたいな人たちを蔑む文化もなくしていきたいと思っています。)。
何よりどんなに世の中が変わっても資本主義に変わりはなくね?ということでもあります。
ある著名人のことばを借りれば、「うまく対応できないのは自己責任でしょ!だから変われよ。」と言われてしまうことなのですが、今後人類の寿命が100年、150年…と延びていく中で本当にこれでいいのだろうか?という疑問が僕には常にあるのです。
あと、僕の頭の中では、多くの人が自由に自分らしく生きれるようになった先のことを常に考えています。
これが一番言いたかったこともかもしれません。笑
こういうことを考えていることもあるので、今後このサロンでもコーチング実践をしていきながら、何かカタチあるものをつくっていけたらなという次第です。
ちょっとまだ言葉足らずですし、繰り返しますが、とりあえずこいつ変なこと言い始めたぞ!という感じです。
またいろいろ投稿していきます。
そうそう、話変わってサピエンス全史の方は読書会ができませんでした。
別にこれは誰がわるいとかではなくて、単純に僕のミスです。なので、今週の土曜日13時から再度開催します。
見学も可能ですので、ぜひ!
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