強い個人の作り方!(完全版)

Kazuです。
ブログの方で7回にわたって書いてきた記事を1つにまとめてみました。
一部加筆・修正しています。

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~目次~

▼あなたは縄文人だ!日本の選挙制度

▼選挙からわかる、日本人の実態

▼集団VS個人、日米の教科書の違い

▼強い日本を崩したアメリカの手法

▼今の日本が見ているのは個人か集団か

▼日本とアメリカの自己決定の違い

▼これからの日本を導くのはあなただ


今回、テレビ番組の行列のできる法律相談所で有名となった弁護士であり、現参議院議員でもある丸山和也さんの講演会に参加してきました。同時期に出演されていた、住田弁護士とは大学時代にお会いしています♪

1時間ぐらいの講演会だったのですが、とても有意義な時間を過ごせました。

テーマは、『外交防衛と教育の観点からみた強い日本の作り方』。


教育の観点から…という点に興味を持ち参加してきました。いろいろな話がありましたが、僕が気になったところをピックアップしていきます。


【あなたは縄文人だ!日本の選挙制度】

丸山さんは、弁護士から国会議員になった経歴をもちます。つまり、かつて司法試験に合格した方なんですね。厳しい合格率の時代ですから、尚更そのすごさが分かります。その丸山さんは、「日本の政治家はドメスティックである」と言ってました。適切な表現かはわからないですが、縄文人みたいなものということですね。というのも、丸山さんは、日本で弁護士になった後、アメリカに渡っています。そして、アメリカでも法曹資格を取得し、日本に帰国しています。

何が言いたいかというと、現職の国会議員は、自分(丸山さん)のように海外に長く(5年)住んでたことがある人が非常に少ない…そのことを嘆いておられました。

良いか悪いかではなく、海外で生活した経験のない人が、本質をよくわかっていない状態で国際問題等についても議論をしていると。それはたとえ個人としての能力的に優れているとしてもです。それが気になると言っていました。

選挙の話(小選挙区)にもなりましたが、今の選挙では、当選するか否かはどんな政策を掲げたかではなく、有権者とどれだけ親しいか否かだと言っていました。これは、何回握手して、何回肩を組んで、何回忘年会、新年会、冠婚葬祭に参加したか?そこがメインになってしまっているということです。ある議員さんは、新年会を1日364件回ったそうです。(〇〇さんは、来てくれたよ!と言われると、行かざるを得ないわけです。)驚きですよね。

もちろん、有権者の方にも問題はあるのですが…。これは、皮肉めいたことを言うことになりますが、選挙人以上の政治家は生まれない!ということです。

なお、衆議院だったと思いますが議員の6割は、官僚及び地方議員や政治家の秘書出身者です。つまり、他職業出身が少ない点が特色となっていたります。ちなみに、衆議院の男女比率は、女性が約8%、男性が約92%です。参議院の男女比率は、女性が約16%、男性が約84%です。まだまだ女性が少ない結果となっています。

【選挙からわかる、日本人の実態】

次に自身の属する参議院についてですが、参議院比例であれば候補者は誰でもいいそうです。ただし、その前提としてお金があれば…ということを言っていました。確かに、その通りだと思います。なぜかというと、組織票が多くの当選者を決めるからです。言い方を変えると、利権の塊みたいなものです。利権と書くとどこか悪いような感じも受けますが、ずっと昔から行われてきたことです。各業界にいる人たちが自分たちの言い分を反映させるために、政界に人を送り込む…そういう流れですね。良いか悪いかは別として現状維持のためにそういう習慣があるということですね。

そして、この参議院においてはまさに組織の強さが大きく関係するというこ

とですよね。お金があれば…というのはそういうことです。また、組織VSその他候補者こういったことが想像できます。そして組織候補者はほっといても票が入るわけです。

丸山さんは、自民党員ですが、弁護士会は、左の人が多いそうです。要するに、アンチ自民党が多いってことですね。組織票云々ってのもないそうです。ただ、丸山さんは、メディアに出ていた方ですから、知名度が他の候補者よりあったし、そこは大きな利点ではありましたよね。※これも一つの選挙というものについて考察するポイントではありますよね。

さて、この辺からタイトルにある強い個人を作ろう!という話に本格的に移っていくことなります。

これまで、強い個人を作ろう!というタイトルのもと、政治・選挙やらを述べてきましたが、これらと強い個人を作る!とどう関係あるんでしょう?



【集団VS個人、日米の教科書の違い】

実は、丸山さんは、選挙を通じて、集団VS個人を再度認識したようでした。もちろん、それは海外で生活していた経験があるからこそより一層強く認識したのかもしれませんね。

丸山さんは、「日本人にも個人の強さはある!」しかし、それは「内面に向けられたもので、

対外に対してはない!」そう言っていました。その大きな理由としては、日本は集団がかなり強いからでした。要するに、集団が強いということは、集団から個人に向けられる圧力がかなり大きいということです。これは、容易に想像できることかと思います。それと、日本では集団の方が上手くいく場合が多い、ということも言っておられました。

ところで、個人と集団という点について教育の観点からはどうでしょうか?

丸山さんはアメリカで活動していた時期もあり、日米の教育観を対比をしていました。

もちろん、価値観や宗教観等もあるから、どちらが正しくて正しくないとかそういう話ではないことに注意してください。


アメリカの教育について学んだとき、強い個人を作る!それがアメリカの教育でした。

現実を厳しく認識させることからはじめるそうです。それによって、「自分という存在」を認識させ考えさせるそうです。たとえば、生まれつき手がないとか、事故で足を失ったとかそういう子どもがいたとします。日本の場合だと、いじめとかに繋がる可能性があるからという理由で、その辺に触れることは教育現場でもタブーとされていたりします。

しかし、アメリカでは、子どもたちが堂々と、そういう障害を持ったクラスメイトに質問をするそうです。ただ、それは、からかうとかというものではないわけです。質問して、された側は自己主張をする…その繰り返し。そういうやりとりを通じて、現実を認識させて自己を形成させていくそうです。そして、それが顕著に表れているのが小学生の教科書だそうです。あくまでも日米の教科書を比較した丸山さんの解釈によるものです。

日本の教科書は、「思いやり、自己犠牲、協調性」そう解釈できる表現が多いそうです。一方で、アメリカの教科書は、「自己主張、強い意思」そう解釈できる表現が多いそうです。

※日本の教科書にはそういった記述がほとんどないそうです。

最近では、道徳心、家族愛、愛国心そういったワードを教育に織り込もうとしている動きも多々ありますよね。もちろん、これらは大切です。今一度言っておきます。日米の比較をしましたが、どちらが正しくて正しくないとかそういう話ではないことに注意してください。

ただ、グローバルな世界に飛び出した時にどうなるか?その辺はいろいろ考える余地があります。



【強い日本を崩したアメリカの手法】

丸山さんの話を聞いているときに結構興味深かったことがあります。それは、雇っていた外国人弁護士と裁判したことがあるという話です。何で揉めたかは忘れてしまいましたが、雇われ弁護士がボス弁と争うとか、日本じゃまず考えられないですよね。ただ、これも自己主張をいうキーワードが関係したりしますよね。※このことは少し覚えておいてください。

ところで、これは僕個人の意見というか、他の方も共感してくれるかもしれませんが、日本という国はかなり優秀です。敗戦国でありながら、戦後経済的にも世界で1位、2位を争う国にまで行きましたよね。よく日本人は勤勉とか言われますが、当時の日本にはすごいエネルギーが溢れていたんだと思います。そして、その日本が優秀な故に、(表向きで)それは困った!と思う国がありました。アメリカです。たしか1980年代はレーガンが大統領だったときだと思いますが、日本の弱点はどこかを本気で探したそうです。製造部門はどうか…(アメリカ)負ける。サービス部門はどうか…(アメリカ)負ける。Japan as No1とか言われた時代がありましたよね(※当時ハーバード大学の社会学者エズラ・ヴォーゲルさんの著書のタイトルから来ています)。一体何でなら日本に勝てるんだ?日本に勝てるものはないのか…ところが見つけてしまったのです。今これを見ているあなたは何だと思いますか?

アメリカが日本に勝てる秘策って。

答えは、訴訟でした。

日本は、自己主張が弱いということからヒントを得たのかもしれませんね。日本の経済等がここまで成長したのは、やはり組織の力だったわけです。今も変わらないかもしれませんが、日本人は訴訟を避けたがる傾向にあります。争うぐらいなら、お金で解決!そういうことが多いです。そして、実際アメリカは日本企業に訴訟を仕掛けていきました。

丸山さんもこのとき、いろいろな訴訟を経験してきたと思います。弁護士には守秘義務があるので具体的な話はありませんでしたが。ただ、話から推測すると、やはりその仕掛けはうまくはまったそうで、日本企業は次々と敗訴または和解に持っていかれたそうです。

それはなぜか?アメリカの裁判は陪審制だからです。陪審制ってのは、選挙人名簿から無作為に選ばれた市民が、陪審員となって裁判の評決を行うものです。つまり、いかに自己主張ができているかが評決を左右するのです。陪審員はアメリカ人ですよね。

アメリカの教育については前回書いた通りです。今述べてきたことは、訴訟というごく一部の視点ですが、実は教育という観点からも見ることができたということですね。

もちろん、これがすべてはないとは思います。教育というのは長期的に行っていくものですが、現在の日本(人)も当時とさほど変わらないじゃないかと思います。

むしろ今の日本は、組織をより強化する動きに出ているということにも目を向けなければなりません。それについては、ノーベル物理学を受賞した中村さんについて書くと分かりやすいと思います。



【今の日本が見ているのは個人か集団か】

いきなりですが、あなたは今、集団に対する価値をより高めようとする動きがあるのをご存知ですか?具体的には、ある法律の改正です。世の中を動かすのは人ってことに変わりはないのですが、この世界に生きる以上、法律に縛られます。一部の方や組織は縛られないかもしれませんが…。その前に、知ってる方も多いと思いますが、中村さんと言えば青色発光ダイオードについて、今から10年ほど前に会社と争いました。何を争ったかというと、特許権の権利の帰属先と、帰属が認められない場合の相当対価支払いについてです。検索すればいろいろな情報が出てくるので、詳細はそちらに譲ります。

発明は個人に属する、これがグローバルな感覚です。もちろん、その権利の利用についてどうするか?それは職務発明であるなら会社のルールに拘束はされます。しかし、どうもその流れを変える動きが出ています。冒頭に述べたある法律の改正です。ある法律というのは、特許法です。どう変わるのかというと、権利の帰属先の規定を発明に対する権利の帰属先を、個人ではなく会社(組織)にするというものです。ざっくりと書いていますが、簡単に言えば、組織にいる人間が発明したものはすべて会社のものということです。

つまり、その部分についてはもう争わせないぜ!ということ。もちろん、相当な対価の支払いは受けることでしょう。しかし、相当な対価ってのは、会社にとって都合の良い金額でしかありません。ちなみに、これは経済界の要請によるものです。要するに、組織からの要請ってことです。経営者にとってはとてもありがたい改正ではあります。ただ、個人レベルで考えると、法改正された場合、日本を去る研究者が続出するのではないかと危惧しています。彼らは人生かけてやってるわけですからね。特許権を有する側からみれば、強い個人なんて最初からない!そう言われているようなものです。特許とか、自分の普段の生活から疎遠な感じにも思えますよね。ただ、何が言いたかったかというと、知らないうちにどんどん法律が変わる。しかも、それはときに組織にとって都合の良いものに改正される恐れがあるということです。※そう考えると民法の改正だって同じです。

法律が絡むのでなんだか難しい話だと思った方もいるかもしれません。ただ、今の日本の流れを読み解くという意味ではこういうことを知ることも重要なことかと思います。



【日本とアメリカの自己決定の違い】

丸山さんの話を聞いていて強く感じたのは自己決定という言葉です。これを読んでるあなたも常に選択をして生きていますよね。それが、自分の意思かどうかは別として…。

ただ、その自己決定という部分さえ、些細なことで規制が起きていたりするのではないかという話。例えば、こんな話があります。名前は忘れてしまいましたが、お茶について研究しているアメリカ人の専門家の方がいました。その方が、日本に訪れた際は必ず緑茶を飲むそうです。専門家ですから日本のお茶のことよく知っているのです。ある時来日したので、京都でお茶を飲むために有名なお店に行きました。緑茶を頼むのですが、その時は甘い緑茶を飲みたかったらしく砂糖も頼みました。しかし、これに、お店側は困ってしまいました。

まぁ、日本人の感覚からすれば緑茶に砂糖ですからね…。「外国人だしきっと何か勘違いしてるんだろう…」お店側はきっとこう思ったことでしょう。お店の方も優しさだったのだと思いますが、「砂糖は取り扱ってない」と彼女に言ったそうです。彼女は何度かお願いしたそうなのですが、揉める必要もなかったので、まぁ、しょうがないか…という感じでお茶を諦め、コーヒーに注文を変えたそうです。そして、数分後にコーヒーが席に運ばれるのですが、なんと砂糖が付いていたのです。

なんということでしょうか。「砂糖あるじゃないか!」ということです。彼女は専門家であるゆえ、知識はあるわけです。当然、緑茶に砂糖を入れて飲む習慣が日本人にないことも知っています。ただ、彼女は自分の好みに合わせて頼んだだけなのです。「私はとにかく砂糖の入った緑茶が飲みたいの!」と。ただ、お店側は彼女の主張を理解できなかったのです。

お店側が悪いとかそういう話ではないです。お店側としては、緑茶そのものを堪能してほしかったわけですからね。

このたとえで言いたかったのは、アメリカ人の場合、教育の部分で書きましたが、自己決定(=選択)の意識が強い!ということです。丸山さんはこうも言っていました。

日本人は、「自己決定というよりは、(選択さえも)習慣化している意識が強い」と。

※脳の機能からカラクリ分かる方はいると思いますが、認知科学の話は今回はしません。

どういうことかというと、選択するときに主体的になって選択しているか?ということです。日本人は主体的なものが弱いということを言いたかったんだと思います。普通にやったらいいよ…そういう流れがあるということです。これは、確かにそうかもな…と思います。

実際自分も、主体的に選択しているか?と聞かれたら、100%そう!とは言えないな~と思いました。なんとなく選択していることもあると思います。しかし、アメリカ人の場合は、自己決定の意識が強いゆえに、強い意識を持って選択している人が多いわけですね。もちろん、すべての人がという話ではないし、どちらが良い悪いとかそういう話でもありません。

グローバルという流れを考えたときに、主体的な行動・意見を持つことが大切だ!ということには変わりはありません。日米の比較をしただけですが、当然こういった差異は地域の数だけあるわけですよね。ただ、一つ言えるのは、差異があろうがなかろうが、グローバルな世界を生きていくためには同じフィールドでやりとりしていくことになる!ということです。その時に、どちらが勝るでしょうか?その辺は考えていかねばならないことですよね。



【これからの日本を導くのはあなただ】

冒頭で、丸山さんは、『国会議員の多くは海外に住んでいたことがない』ということを嘆いていたと書きました。なぜ嘆くのか?それは、ここまで読んでくれたあなたならその理由がもうわかると思います。日本は、何か決断を迫られたときに本当に諸外国と対等に交渉できるのか?ということですね。

今、TPPの問題を触れる人は以前よりも減った感じがしますけど、おそらく僕は締結が決まるだろうと思っています。良いことだとは思いませんが、これも交渉という結果です。本質を知るには日本の戦後の歴史を知らないと話にならないことではありますが、歴史を知らない人が話題にすることだって自由です(これを機に興味を持てばいい)。まぁ、どんな議論にしろ、似たようなことが国会でもたびたび行われているわけですよね。

話を戻しますが、今一度、テーマを確認しましょう。『外交防衛と教育の観点からみた強い日本の作り方』です。最後の強い日本の作り方ということですが、強い個人の集合体として世界と勝負すべき!そういうことだと思います。※経済の部分では、組織を強化する動きが活発化していることは忘れないでおきたいところです。

強い個人…そのために教育というものについて今後、更に考える必要があるよね!というのはこれまで述べてきたとおりです。

今の日本の教育が良いか悪いかという話ではないし、どこかの国の模倣をしさえすればいい!ということでもありません。ただそうは言っても、主体的に行動していく、自己主張をしっかりできる個々人を増やす、これは必要なことじゃないかなと思います。閉鎖的な国として今後日本が進むなら、そんなこと考えなくてもいいのですが、グローバルという点で考えたときには、そうもいられないことでしょう。※僕は日本人は世界の人に向けて誇って生きていいと思いますから、日本人としての良さを消してはいけないとは思っています。これは、優劣があるとかそういうくだらないことではありません。

では、より良くなっていくためには何をしていくことが必要だろうか?それはこれから考えていけばいいことであります。多様な意見を取り入れながら、議論をしていけばいいだと思います。そして、今読んでいるあなたにとってもこれを機に、何か考える一つのきっかけになってくれたら嬉しいなと思います。なので僕の考えはまた別の機会に投稿したいと思います。

※僕が主催している破天荒の活動では、実践を交えて活動しています。

これを見る前からすでに考えているよ!という方は、さらに知見を広めていって、その経験をシェアしてくれたら嬉しいです。僕たちのこうした動きが自ずと新たな道を作っていくと確信しています。

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最後まで読んでいただきありがとうございました。

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